責任

今から60年前にあった戦時とは違う現在。
受け入れ難い「死」に対し、自分を納得させるため、「死」の恐怖と戦った戦争とは異なる・・・

わずか15年で未来ある子供が自ら命を絶つ・・・
人生を絶つその間の葛藤は自分には想像仕切れない・・・
良識?見識?を持っているはずの大人は一人の子供の命すら守れなかった。
虐めた本人、虐めた側の親、担任の先生、学校、行政、警察・・・そして友達も見捨てた尊い命・・
誰も責任をとらない歪な社会。
虐めた子供に責任能力がないとするなら、子供を育てた親が責任を背負うべきだと思う。
あの教育委員会では子供は守れないし、不幸だ。

責任をとったところで命は戻らない。形式で済ませ、時間がこの事件を風化させる。
いじめた人間は社会人になり、恋愛をして、家族を養い、人生を恙無く一生を終える・・
責任を取らない彼らは、真実を隠しながら社会に潜伏する。バカな・・・

包み隠さず真実を語りその責任を背負う。
責任を他人に押し付け、利己主義が罷り通る政治、官僚、東電・・・大人の世界も同じでは・・・

「現実」に対し正面から向き合う「責任」をとる価値判断が求められていると思う・・・

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